立ち別れ 福島びとの 寂しさは
涙枯れても 果てなく続く
福島会津若松で育った
我が家のおばあちゃん(義母)は
3・11を知らずに逝った
その年の3月3日が命日
葬儀(3月9日)の最中
前ぶれがあった
生きていたら
テレビから流れる画面を見て
どう思っただろうか
認知症が進んでいたとはいえ
(福島)という言葉に
何と反応するか
今となっては分からないが・・・
「なじょすべ~」
と言っているような気がする
同じ年
私は直腸がんの手術を受け
それから5年間は、3か月ごとに
放射線を浴びながらの検査
私には、調べるという大儀があるので
仕方がないこと
でも
ダダモレしているのだ
何処へ気持ちをぶつければよいのか
心折れそうになりながら
7年を生きてきたであろう人々に
前を向いて行こうなんて言えない
言えることは
今日一日
とりあえず生きてみよう
会津には
什(じゅう)の掟
ならぬことはならぬものです
がある
NHKの「八重の桜」で
知った方もおられると思います
これを福島原発とあてはめるには
無理がありますが
無理にでもあてはめたい心境です
本日も お読みいただきましてありがとうございます(#^^#)
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